卒業生は今~40年のクリエイター人生~

2019年7月10日 ニュース

本日は日本デザイナー学院九州校を

約40年前に卒業した

ライター・コピーライターの茅野良介さん(63歳/グラフィックデザイン科卒業)にインタビューしました。

「ライターの仕事とはどのような仕事か?」

「クリエイターとしてこの業界で働き続けるには?」など様々な質問にお答えいただきました。

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家族そして進路

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私は大分県の佐伯市で生まれ、父は地方公務員でした。父は日曜日になると絵をよく描いていましたね。その影響もあって、私は幼い頃から絵を描いたり、モノをつくったりすることがとても好きでした。

描いた絵が表彰されると嬉しかったですね。でも高校に入った途端、そういう時間がなくなり絵を描かなくなりました。

高校卒業後、名古屋の大学に進学しました。目標のないまま漫然と進学したため勉学の意欲がなくなり、バイト中心の生活に。あるとき、テレビでデザインの専門学校のCMを観て関心を持ち、だんだん心惹かれるようになりました。

そして大学2年で中退。親や親戚には「何を考えているんだ!」「甘ったれるな!」と言われましたね。

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言葉の奥深さ、面白さに出会う。

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大学を中退をしましたが、大学で専攻した英語には日本語で直訳できない表現がたくさんあって、言語の面白さを感じていました。

「レインダンス」って言葉を知っていますか?

これは車のボンネットに雨が降ると水が弾けるでしょ。

それを英語で「レインダンス」と表現します。

素敵な言葉だなぁと思いました。これを日本語でどう表現できるかを考えました。「言葉の奥深さ」「面白さ」を感じましたね。今、考えたらこの「レインダンス」という言葉との出会いが、現在の仕事(ライターの仕事)につながっていったのかもしれません。

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大分に帰省、

そして専門学校へ

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大学中退後、大分に戻り測量の会社でアルバイトをしていました。弟が関東の大学に行くことになり、経済的な問題がありますから、デザインの学校に行きたいという気持ちを親に言いたくても切り出せずにいました。そんなある日、測量会社の社長が「ウチの社員にならないか?」と声をかけてくれました。

「社員になるためには、資格をとらなくちゃいけない。会社がお金を出すから、測量の資格がとれる学校に通わないか?」と言われ、それがきっかけで親と将来のことを話す機会となりました。そこで自分自身の気持ちを伝えるきっかけができたのです。

「測量の学校ではなく、デザインの専門学校にいきたい」そう親に伝えました。

最初はもちろん反対でしたね。

でもアルバイトで生活費はなんとかするという条件で最終的には進学を認めてもらえました。

その時に私はずっと新聞の小さな広告を切り取って持っていましてね。それが博多にある専門学校日本デザイナー学院の記事でした。新聞広告を見て、資料請求のために学校に電話しました。その時に電話に出られた方が、親身に自分の将来のことを考えてくれて、ここで学びたいと思いましたね。そして大分から福岡へ引越しをしました。私が23歳の時でした。

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専門学校での

デザイン教育は。

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正直、驚きの授業でしたね(笑)。私がこれまでに受けてきた「授業」というものは、講義があって、理論があって、実践がある。それがいきなり実技ですから。戸惑いました。そして連日の徹夜でした。とくに1年次、課題を仕上げる労力は、週のうち4日の貫徹を強いるほど過酷な時間を費やしたね。「記憶」と「反復」の受験勉強とは違い、毎回、どんな作品に仕上げるかを考え、その完成度を高め、ライバルを差し置いていかに最高の評価を受けるか、その連続だったような気がします。わかっていたことだが、まわりは18歳、私は23歳、5歳のハンディがある、人生のスタートという意味でもね。

だから、真剣だったと思います。経済的にもゆとりがあって入学したわけではないので、そして何より、親に無理を言ってお金を出してもらっていますから、このチャンスをものにするぞという気持ちは相当強かったと思います。

印象に残っている授業と言えば、現在の校長、大庭香代子先生の授業です。ゼロから学び始めたので、当時は何がいいデザインかわからなかったと思います。大庭先生は一人一人の学生作品を丁寧に見ながら、なぜ良くて、なぜ美しいか解説をしてくれました。

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コピーライティングの

授業に出会う。

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基礎が終わったころ「コピーライティング(堺先生)」という授業がはじまりました。当時、コピーライターの仕事が流行していましてね。

九州では、清水要さん(現ニチデ講師・元西鉄エージェンシー))のコピーは本当によく目にしましたね。授業を通じて、コピーライターの仕事に更に興味を持つようになりました。

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コピーライターとしての

仕事が始まる。

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堺先生に「コピーライターになるにはどうしたらいいか」を訊くと、「うちの会社に就職しろ」ということになり、迷いなく、そして運よく、人との出会いによって道が決まりました。

当時は今と違ってデザインはすべて手仕事でしたね。

正直、先輩デザイナーの職人技を目の当たりにして、自分にはできないと思ったのでディレクション(テーマや方向性)に重きを置こうと思って仕事に取り組んでいきました。3年後、自分の力を試そうと思って会社を辞め、自動車関連メーカーの広告等制作(カーグラフィックなどに掲載)のディレクターとして就任しました。

その2年後、独立して個人事業所Prism設立しました。5年後には法人化(有限会社)しました。編集物を中心に手掛け、役者(約100人)・スポーツ選手・文化人・政治家・ジャーナリスト・企業オーナーなど多数取材・原稿執筆しました。現地取材は全国47都道府県に及びます。

その間、現・㈱クロス編集事務所の設立に参加、取締役に就任(現在は退任)。2015年9月、24年間の法人活動を止め。以後、フリーで活動しています。

仕事では0.5秒でわかるものをつくってくれと言われます。その為に何度も何度も練るんです。コピーは何文字でおさめるかなど、カメラマン、デザイナーと打合せをして、何十時間も考えたこともありますね。この世界はそれが当たり前なんです。

最終的にどういう仕上がりになるかまでこだわるわけです。カメラマンもコピーライターもデザイナーも常にそれが当たり前にできることが大切ですね。

現在、私は63歳ですが、今も闘争心が湧くようなエキサイティングになれる仕事に恵まれていて、毎日が充実しています。
高校時代の同級生などはもう会社を退職し、穏やかな第二の人生を始めている者もいますが、ありがたいことに、私は当分、ワクワクする時間を楽しめそうです。

▲茅野さんがライティングをした雑誌や書籍の数々

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毎日違うことをやっている。クリエイター人生。

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毎日・・・全日と言っても過言ではないけど・・・違うことをやっています。つまり、毎回つくるものが違い、向き合う対象が違い、テーマが違うので、昨日は何をやったか忘れることも珍しくありません。そういう仕事を楽しいと思うか、苦痛に感じるかはその人次第ですが、毎日がとても刺激的で充実した生き方ができると思いますね。一言で言いうと、飽きない。制作というのは、ひとつの「モノづくり」なので、できあがったときは充実感に満たされるし、クライアントから「いいものをつくってくれてありがとう」と言われると、素直に嬉しいしやりがいを感じています。

編集ライターの一番の魅力は、普段会えない人に会えて貴重な話を聞くことができるというところです。また、取材で全国各地に行くことができるところも魅力ですね。

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この業界で働き続けるためには、人に信頼をされる人になること

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実績を築くこと。評価され続けること。(そうでないと仕事が来ない)が大切だと思いますね。そのためには、どんな仕事でもこなせるように、日々、自分を磨き続けること。時代は動いているということを忘れずに、常に広い知識・情報の収集に努め時代が求めているものを把握すること。実力をつけることです。

・人に信頼されること。(頼りにされる人間になること)

そのためには、常に謙虚で、素直であること。予算や仕事内容に対して不平不満を言わないこと。アーティストを気取って独りよがりの考えや発想を振り回さないこと。一番大事なことは・・・自分が作ったものを評価するのは他人であることを肝に銘じること。

等々・・・・いろいろあるでしょうが、どんな仕事でも同じですが、成し遂げるだけの実力がないと長く働き続けることは難しいと思います。当然ですが。

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最後に業界を目指す方へ

メッセージ

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この業界は、一言でいうと、人が生きていく上で欠かせないものの一つであるコミュニケーションをデザインするために働く人の世界です。視覚的なコミュニケーション、聴覚的なコミュニケーションはじめ、今は、IoTによって人とモノ、モノとモノのコミュニケーションなど、より立体的で複合的なコミュニケーションが展開される時代です。つまり、実に広範囲にわたってさまざまな場面、世界に関わっている業界であると言えます。

また、その考え方もドメスティックなものからグローバルなものまで幅広くなっていますから、様々なポジションで専門性が求められ、同時に多様性が求められます。その多様性による化学反応から生まれる独自性、画期的な取り組みなどが、これから先の自分自身の道を切り拓いていく“得意技(武器)”になっていくと思います。実際に、私と同じ日デの同級生で、現在、デザイナーとしては活動していませんが、企画会社の代表としてこの業界で成功しています。それはまさしく多様性から生まれた独自性が功を奏した例でもあります。ゆえに、この業界を目指すなら、まず、その心づもりが必要でしょう。

言い方を変えれば、多様性を持たなければ高度なコミュニケーションデザインが求められる時代に活躍するのは厳しいということです。ただ、それはどの業界も同じです。なぜなら企業サイドは、そういう多様性を持つ人材から採用するからです。

ただ単に経済的に安定する会社に就職することが目的であれば、違う道、生き方があるでしょう。この業界を目指すということは、それよりも生きていく上でもっとも大事な「喜び」や「充実感」、「達成感」を求めるという生き方をするということじゃないかと思います。私はそう思いますし、結果的にはそれが経済的な安定にも結びつくと思います。

この業界のどこかに入ることができたら、後は、どのように多様性を築いていくか、努力と実績しだいでいくらでも未来を切り拓いていけると思います。

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以上でインタビューを終わります。茅野さんお忙しい中、ありがとうございました。

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